[岩瀬 哲さんの言葉]


 

 

医療から教育へ、その接点

 

 

 二次予防緩和医療視点 

 

  医療の話から始めますと、長年、私は緩和医療(緩和ケア)の大切さを追求してきましたが、最近は二次予防の重要性について考える機会も増えました。

 

  がんや生活習慣病などの病気にかかる可能性は人間誰にでもあります。そうした病気を生活の中で悪化・重症化させない努力、身体機能の低下を少しでも抑える努力、そういった二次予防が医療の中で非常に重要な位置を占めるのではないかと考えています。

 

  医療機関の数が少ない地域であっても、日頃から体操などを通してお年寄りが健康増進に励み、定期的に健康診断を受け自分の体をチェックすれば、骨折などによる緊急搬送は減ることがわかっています。骨折後の死亡リスクを抑えられるわけです。

 

  その取り組みは手術や薬物治療などに比べて目立たず、成果がなかなか評価されにくいという側面はあります。

 しかし、医療者だけでなく多くの人々が二次予防に留意し、一人ひとりの生活の質を維持できれば、地域社会の活力も生まれますし、家庭の安らぎも育まれます。無駄な医療費の削減も可能だと思います。メリットは多方面にわたるでしょう。

 

  緩和医療は私が長年、携わってきた分野です。日本では世界の常識と異なるとらえ方をする傾向があり、私としてはそれが気になります。いまでも「敗北の医療」とみなす医療者がいる状況は残念です。

 

  緩和医療はがんという病気の、しかも痛みのコントロール、あるいはターミナル期の医療だけではありません。

 

  病気——がん以外の、脳卒中、慢性の肺疾患、心不全、神経難病、認知症などの病気すべて——がわかった早い段階から、病気に伴うさまざまな痛みを予測・予防し、もし痛みをはじめとした症状が現れた場合には疼痛コントロールなど適切な処置を行う、それが本来の緩和医療なのです。

 

  適切な処置やリハビリを通して症状を安定させ、QOLを高める医療ですから、医療者側には診療科・職種の垣根を超えた真のチーム医療が求められます。つまり、緩和医療はこれからの医療を再構築する力を秘めていると思います。

 

 医療教育共通するもの

 

  これまで触れてきた二次予防や緩和医療は病気と共存し、QOLの維持に努めるという発想から成り立っていますが、その視点は案外、子どもの教育とも共通点があるのではないかと感じます。

 

  まずは、基本に戻り、効果的な教育・学習の役割に関心を払う。「子どもをどのように育てるか」といった成長の見通しを意識しながら、子ども自身の努力を促し、自信と目標をもたせるように教え導く。子どもが何かにつまづいた時には、そのまま放置しない。自らも弱点や欠点を率直に認めつつ、それを改めるべく工夫する……。

  そうした視点に立てば、教育の分野でも必ず良い結果が生まれるのではないでしょうか。

 

  実は、私は東京大学から埼玉医科大学に着任後、慌ただしく時間が流れるなか、あえて基本に戻ろうと思い、映画『赤ひげ』(黒澤明監督/1965年作品)を観直しました。

  赤ひげは「医学は無力、患者を治すことはできない、治癒力を助けるだけ」「死ほど尊厳のあるものはない」と言います。大事なことは病気に対する無知をなくすことであり、それが我々(医師)の務めだ、と。

  何度『赤ひげ』を観ても、読んでも、ほんとうにそのとおりだと思います。医者は病気の勉強をしますが、自己治癒力(発達力)には関心がありません。そして、「医学は治すこと」と思い違いをしています。

 

  患者さんは病気で機能が落ちても、あるいは、いわゆる「発達障害」のようにはじめから機能がヒトと違い、遅れていても、自ら環境に適応していく能力があります。

  最近の専門性重視が医学をより曇らせているように感じられます。医師はもっと広い目で病気と向きあうべきなのでしょう。まずは「ヒト」を診る、そこからだと思います。

 

  このように考えると、二次予防や緩和医療の考え方は障害児教育にとっても有意義だと言えると思います。

 

 事実・事例蓄積常識

 

  いわゆる「発達障害」には推奨される治療法は現時点では存在していないと聞いています。

  しかし、医療的な治療法がなく、病気(ハンディ)そのものは完治(根治)できないからといって諦めるのではなく、早い段階から効果的な教育・学習を積み重ねれば、周りのサポートによって自己治癒力(発達力)を伸ばし、症状やそれに伴う言動をコントロールできることが事実として示されています。

 

  その意味で「発達障害」の治療法はむしろ効果的な教育・学習であると言えるわけですが、このNPO法人で開催している連続セミナー(*1)では、子育てを通して教育・学習の意義を実感された多数の保護者による体験発表が行われています。

 

  特に、「発達の遅れ」をもつ子どもの母親である産婦人科医の方が体験発表したセミナー(*2)の様子を教えてもらい、興味深く感じました。「発達障害」と「緩和ケア」の共通点を感じてきた私にとって、それを裏付けるエピソードだったからです。

  その婦人科医の方は緩和医療にも取り組んでいるそうですが、「発達障害」にも「がん末期」にも同じ概念で対峙されているのだと思います。

                                

  すべての子どもの教育にとって、二次予防や緩和医療の考え方は参考になるのではないでしょうか。そして、安心・安全で健全な社会を維持し続けるためには、最終的に子どもの教育という、きわめて重要で根本的な問題にたどり着くという気がします。

 

  赤ひげではありませんが、教育と成長をめぐる事実を知り無知をなくすことによって「何をすべきか」という問題にしっかり向き合えるのだと思います。

  それだけに、医療では当たり前となっている事実(事例)の蓄積が望まれるところです。この治療を行った結果がこうなった、状態が回復した、生命予後を伸ばした、あるいは予期しない副作用が生じた、だからこの治療法を標準治療にしよう、あるいは治療方針を見直そう……、そんな事実・事例(なるべく多く、なるべく長期)の積み重ねを尊重する考え方が教育の分野でも定着することを期待しています。

 

  このNPO法人ではその名称通り、「教育を軸に」さまざまな活動を展開していく計画です。医師に「ヒト」を教えることも役割のひとつと考えてもいいではないでしょうか。

  私も「医療と教育」という観点からいろいろ形で協力したい、そう考えています。

(談)

 

*1 2017年3月からスタートした連続セミナー。2017年は[わが子の「発達の遅れ」に直面した保護者とともに考える]、2018年からは[わが子の「発達の遅れ」、その改善に取り組む保護者たち]

*2 2017年10月7日に開催した連続セミナー第7回「母親として、医師として、思うこと」

 

(2018年1月22日)