[BOOKS]「生徒と先生」から「親友と恩師」へ

『飛ぶ教室』

 学校が舞台、登場するのが先生と生徒、それに描かれるのがいつもの日常とくれば、児童文学としてかなり分が悪い。現代の読者が喜んで喝采を送るのは、ありもしない奇想天外なストーリーや趣味の悪いストーリーのほうだから。

 でも、そんな劣勢をはねのけて、忘れられない名作としての価値を持ち続けているのが、エーリヒ・ケストナー(1899〜1974)の『飛ぶ教室』ではないかと思います。多くの人が何度も読み返したことでしょう。

 

 私たちの前に現れるのは、輪郭のくっきりした子どもたちと大人です。ニューヨークで生まれたあと孤児になったジョニー、頭が良くて友だちから信頼されているけれど貧乏なマルティン、勉強は苦手な代わりにケンカはすこぶる得意なマティアス、臆病者な性格をいつも恥じる小さなウーリ、本を読むのが好きで論理的な話し方をしがちなゼバスティアン……。「そういえば、昔、こんな子いたよな」という気持ちになります。

 

 そんな子どもたちが、クリスマス前の寄宿舎(ギムナジウム)生活を存分に楽しみます。ある時は、芝居の練習、他校の生徒たちとの果たし合い、誰も予想しなかった子どもの奇行。授業や勉強のことだけでなく、いろいろな出来事が子どもたちの周りで起こり、そしてカレンダーはクリスマス休暇へとなだれ込みます。

 

 子どもたちはもうギムナジウム5年生(14歳くらい)。好き勝手にやっているわけにはいかないんですね。

 「正しいスペルなんて必要ないのさ」と言い放っていたマティアスでさえ、ある場面になると、「細切れ肉(フリカッセ)って、どんなスペルだっけ?」と友だちに尋ねます。教室(学習)の秩序に子どもなりに従おうとする、健気な様子を見せてくれます。

 

 同時に、生意気盛りの生徒はこう叫び、身近な大人を挑発します。

 

 「教師には、とんでもない義務と責任がある。自分を変えていく能力をなくしちゃダメなんだ。でないと生徒は、朝ベッドから起きださず、授業はレコードで聞けばいいってことになるだろ。だがね、ぼくらに必要なのは人間の教師であって、2本足の缶詰めじゃないんだ。僕らを成長させようと思うんだったら、教師の方だって成長してもらわなきゃ」(112〜113ページ)

 

  子どもたちのザラザラとした成長を見届けるケストナーの筆は冴え渡っています。

 

 それにしても、この作品をとりわけ魅力的にしているのは、背骨のような大人の存在があるからではないでしょうか。生きること、社会の中で生活すること、働くこと、稼ぐこと、家族を養うこと、そうした人生の荒波を通過してきた大人たちの言葉が全体を引き締めます。

 

 たとえば、ドイツ語の書き取りの罰として風変わりな先生から生徒へ与えられた文章はこうです。

 

 「どんな迷惑行為も、それをやった者にだけ責任があるのではなく、それを止めなかった者にも責任がある」(128ページ)

 

 「このセンテンスを全員、つぎの時間までに5回書いてくること」と宣告する風変わりな先生だけれど、選ばれた文章題自体はなかなか奥深い。

 

 また、「正義さん」と呼ばれる舎監のベーク先生は、果たし合いの一部始終について子どもたちから報告を受けたあと、外出が無許可だった点に触れ、次のようにみんなに問いかけます。

 

 「『どうして私にたずねてくれなかったのかな? あんまり信頼されてないのかな?』。こちらに顔をむけた。『だったら私自身、罰せられるべきだ。きみたちの違反には私も責任があるわけだから』」(97ページ)

 

 また、物語の後半で大きな役割を担う「禁煙さん」のこんな言葉、これも記憶に残ります。

 

 「ただね、大切なことに思いをはせる時間をもった人間が、もっとふえればいいと思うだけだ。金や、地位や、名誉なんて、子どもっぽいものじゃないか。おもちゃにすぎない。そんなもの、本物の大人なら相手にしない。どうだ、ちがうかな?」(160〜161ページ)

 

 大人が自分の人生(教科書からではなく)で得たものを語ります。だからこそ、子どもたちは大人を信頼します。

 ただ子どもとして大人に見守られているだけじゃない。子どものほうから大人へ視線を切り返し、手探りながら関係をつくろうとしているんですね。

 

 「マルティンはもぞもぞした。いまにも先生の首にだきつきそうな気配だった。だが、もちろんそんなことはせず、うやうやしく後ろにさがって、信頼のまなざしでじっと正義さんを見つめた」(192ページ)

 

 子どもたちの成長が照らす、そのストレートな気持ちと姿勢を、ケストナーは見事にとらえています。

 

 成長する子どもへ向けて大人として返してあげる言葉はこんな感じです。

 

 「ボクシングで言うように、ガードを固めることだ。パンチを食らっても、耐えられるようになっておこう。でないと、人生最初の一発でふらふらになる。人生は、とんでもなく大きなグローブをはめているものだ。心の準備がないまま、そんなパンチをもらったら、あとは小さなハエが咳をしただけで、リングに長々と伸びてします」(22ページ)

 

 そうです、人生は大きなグローブをはめています。心の準備……それが、私たちが何気なく口にする子どもの教育の本質ではないでしょうか。

 

 さて、物語の最後、マルティンのお母さんは、思いがけない贈り物を目にしたあと、贈り主にこんな手紙を書きます。

 

 「生きているクリスマスプレゼントを送ってくださって、ほんとうに、ほんとうにありがとうございます。こんなすばらしい方が先生なら、生徒さんもひとり残らずすばらしい人になるはずですね。そう願いながら心からお礼を申し上げます」(207ページ)

 

 おそらくケストナーは、学校生活の宝物をクリスマス・プレゼントの中に詰めこんだように思われます。つまり、親友をもつこと、恩師を得ること(1人でもいい)。それが子どもたちが学校生活を送る本当の意味なのではないか、読み終わってからそんなことを考えてしまいました。

 

(知覧俊郎)


■本の紹介

『飛ぶ教室』(古典新訳文庫) エーリヒ・ケストナー著 光文社 2006年9月発行